13/6/14
アナトリア更新
シルクロード概要
シルクロードの名は火山灰に埋もれたイタリア、ポンペイの遺跡から中国より運ばれたと考えられる絹織物が発掘され、 古代よりユウラシヤ大陸に於いて中国とローマとの間に交易があった事が明らかになったことから始まる。
その後ドイツ人の地理学者リフトホーフェンが中国各地を探索し纏めた「ヒーナ」と言う書籍の中で ザイデン・シュトラーセンすなわち「絹の道」という表現を使用したのが最初である。
ユウラシヤ大陸の人々の認識はある時代まで、北部に於ける遊牧民を除いてお互いにパミール高原を挟んで大きく西と東に分かれ, お互いの存在を知る事はなっかた。かのアレキサンダー大王もインドから東を、秦の始皇帝もパミールから西を知らなかった。
この事からもシルクロードを東の帝王の道と、西の大王の道に分け考える事が出来るであろう。
かってこの交易路をめぐって、幾多の民族の盛衰があり、多くの民族が、他の民族と同化するか、消え去っていった。
古来より、多くの民がたどったこの道を、旅した内容を本ホームページで紹介します。

帝王の道
大王の道
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