黒海に沿って(2012)

黒海沿岸を通るシルクロードは、中央アジアの平原からカスピ海の北を通り、コーカサス山脈を越えて行く。黒海沿岸部には前8世紀頃からギリシャの植民都市が造られ、海上交易が行われていた。
ペルシャ、ローマ、オスマン等巨大帝国の支配下に置かれながらも交易は続けられ、中世には各港にべネチア共和国を始とした海洋国家の交易拠点が置かれており、東方見聞録で有名なマルコポーロもこの路を通って中国(元)向っている。
東からコーカサス山脈を越え、アルメニア共和国の南西部からアナトリア半島に入るとトルコ共和国である。最初の都市がカルス、アニー遷都される前のバグディッド王国の首都である。

古き王国の都

「アニーの遺跡」

アルメリアとの国境、峡谷沿いに古い遺跡がある。9世紀から11世紀に栄えたアルメリア人の王国であるバグディッド王国の首都であったアニーの遺跡である。
11世紀には10万人を超える人口を有し、多くの教会も建てられ、シルクロードの一大中継地として栄えた都市である。
その後、セルジュークトルコ、モンゴル等の支配下に置かれたが、14世紀初頭の大地震で都市の大部分が崩壊し、交易路の変化も有り徐々に衰退、見捨てられ廃墟になった。

「遺跡群」

国境を跨ぐ峡谷に残る石橋の跡は、過去この地域一帯が一つの都市(アルメニア王国)で有った事を示している。
またこの地域はアルメリア正教を含む東方正教発祥の地でもあり、多くの教会が建てられていた。救世主教会は修復工事中であり、周囲には崩れて残されていた石材が修復の為置かれている。
 
聖グレグリオ教会内部のフレスコ画
峡谷に残る石橋跡救世主教会

エルズルム

カルスから西に進むと、アナトリア東部(トルコ)最大の都市であり、交通や商業の中心都市であるエルズルムに至る。標高1800mを超える高地に有り、トルコで最も寒い都市である。
セルジュークトルコ時代に建てられたモスクや神学校が多くある。現在修復中の珍しい2本の尖塔を持つ神学校は修復後の姿が示されていた。
修復工事中完成予想図
モスク内部小さな神学校

トラブゾン

エルズルムから西北に黒海に向い、山脈のトンネル(トルコNO2の長さ)を潜ると景色が一変する。
今までのアナトリア高原の乾いた褐色の世界から、山に木が茂る緑の世界である、トルコの天国とも言われるのも肯ける。黒海からの雨がこの風景を作っているのであろう。路を行き黒海に突当るとトラブゾンである。
トラブゾンは紀元前8世紀のギリシャの植民都市から始まり、海路(黒海)を利用した交易(コーカサス地方から中央アジアへの)の中継地として繁栄した。
    「ヌメラ僧院」

標高1200m、谷底から300の切り立った絶壁に建てられた僧院である。ビザンチン時代、ギリシャ人修道士に依って建てられ始めたと言われている。
最盛期には7階建て、68部屋も有る大規模な洞窟修道院である。
イスラムのオスマン帝国時代にも珍しく保護されていたが、1929年に木造部分が焼失し内部のフレスコ画が損傷したが、現在でも旧約聖書を描いたフレスコ画が観られる。

僧院入り口無邪気に遊ぶ子供
内部のフレスコ画焼跡も残るフレスコ画

「アヤ・ソフィア」

現在トルコで3番目の”聖なる知恵”という意味を持つギリシャ正教会の教会。中央の高いドームを中心に十字形をしたアルメリア建築様式、内部のフレスコ画や床のモザイクはビザンチン様式になっている。
オスマン時代にはモスクとして使われ、現在は博物館になっている。
アヤ・ソフィア内部のフレスコ画

「ギレソン」

「城址からの眺め」

     トラブゾンから西へ、右手に黒海を眺めながら進むとギレスンに到る,ギレスンはセレウコス朝が弱体化して行く紀元前4世紀頃栄えた小王国の一つ、ポントス王国の都が置かれていた町である。
黒海沿いの高台には城が築かれており、現在も城壁の一部が残り城址公園になっている。
展望台に上ると、黒海と街並が一望でき、素晴らしい眺めを堪能する事が出来た。
この王国も紀元前1世紀にはローマ帝国に併合され、アジア属州の一部になった。

サムスン

ギレスンからさらに西へ黒海を眺めながら進むと、黒海沿岸で最も大きな港湾都市サムソンに至る。この都市もギリシャ人の港湾都市に始まる。
またこの都市(港)は現在トルコを考える上で重要な都市である。第1次世界大戦の敗北、列強諸国に依る分割統治からの独立戦争時、其の指導者となったムスタファ・ケマル(初代大統領)が1919年5月19日サムソンに上陸し、東部アナトリアの軍団を纏め、本格的な革命、独立戦争が始めた記念すべき場所である。港にはケマル上陸記念モニュメントが有り、観光客で賑わっていた。
モニュメント路面電車

サフランボル

この町もシルクロードの通過点の商業都市として栄えた町で、昔のキャラバンサライを中心として放射線状に道が伸びている。
石畳の道沿いには、小さな店が並んでいるが、其の半分はお土産店である。オスマン時代に建てられた昔ながらの古い民家が残っており、街全体が世界文化遺産に登録されている。
家は1階が石造り、2,3階は土壁に木の枠を並べた木造家屋である。従ってコンクリートの大きなホテルは無く、人数の多い団体客は、分散してホテルに泊まる事になる。
町の名の由来は、この地域にサフランの花が群生し、サフランの名産地であった事に因る。今は静かな田舎町、この静かさも素晴らしい。
 
町の全景商店街?
ホテル静かな路地